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これまで と これから

更新日:2021年2月22日



2020.10.23 投稿



皆さんこんにちは。

随分と冷え込んで来ました。日中は比較的穏やかな気温ですが、朝晩は着込まないと耐えられないくらいに。妻に関してはダウンを着る始末。こんなものは寒いとは言わん。と、ご近所のおじさんたちに笑われています。

去年も笑われていたなと、移住をしてきたのもこんな寒さを感じる季節でした。ああそうか、あっという間に移住をして1年が経とうとしています。

今回はその節目に、わたしたちサササの「1年の振り返り」と「これからについて」をお伝えできればと思います。

長くなりますが、「サササって何者?」という疑問に対して(よく思われているらしいので)の回答になれば幸いです。

...





ー 動き出そうとした矢先の新型コロナ ー

わたしたちが移住したそもそもの理由は、


・自然の多い場所で暮らしたかった

・その環境でモノづくりをしたかった

です。そのことについて詳しく説明すると本当に長くなるのでそれはまた別の機会に...

(都市部で暮らしている方は一度は思うことなのではないでしょうか。大体同じ理由です。)

モノづくりというのはその地域性を生かした漢方茶や装身具がつくりたいということ。

そしてそれらをつくる場として、ご縁があり廃校になった幼稚園をアトリエとして利用させていただくことになりました。

そうしてまずは場所を整えようと掃除や改修、改装をはじめ、徐々にきれいになっていく幼稚園を見ていくうちに...

ある感情が溢れてきました。

「お客様をアトリエに招待したいな」

「宍粟の魅力をもっと感じて欲しいな」

元々その気持ちはあったのですが、こちらで日々を過ごしていく中でよりその気持ちが強くなったというのが本当のところ。

ではどのように皆さんに来ていただくことができるのか?

わたしたちができることを考えました。

無い頭を使って出した答えが、多くのイベントに参加し、まずは今まで以上に色んな方にわたしたちに興味を持ってもらうこと。そしてアトリエで行う教室やワークショップをきっかけに宍粟に来ていただこう。それがわたしたちにできる第一歩だと考えました。

基本的には大阪でしてきたことと同じこと。でも私たちだけでなく宍粟の大きな自然を感じてもらえる。私たちが移住をすると決めたときに感じた気持ちを味ってもらえる。これはきっととても素敵なことなんだろうと思いました。

春の気配がしてきた活動の季節。わたしたちの大好きなイベントである道明寺天満宮手づくりの市が中止、初出店でとても楽しみにしていた月曜の雑貨とチャイ、森、道市場2020も中止に...

そう、新型コロナウイルスの脅威が世界を包みました。

皆さんもご存知の通り、あらゆるイベントの自粛・中止が行われました。

再開の見通しがつかないイベント出店。

さすがに落ち込んだ時期もありました。

これからどうしようと思っていた矢先、

そんなことには目もくれず動いていた世界がありました。

自然の世界です。

...




ー なにも変わらない自然の世界 ー

当然ですが、新型コロナが日本中を混乱に巻き込む最中でも自然界はなにも変わることがありませんでした。動き続けていました。

落ち込んだのも束の間、初めての生薬の栽培・収穫・乾燥処理、畑・田仕事に翻弄される日々。次から次へ生茂る草、咲き乱れる花を見逃さまいと必死でした。以前のブログにも表現しましたが、それはまさしく”ぶつかり合い”です。

わたしたちのまわりの方々も素麺工場の季節が終わり、畑仕事に精をだされていました。もちろん全くの影響がないとは言えませんが、生活が大きく変わった様子もなく、皆さんとくに焦りはないようでした。

なぜだろう。

そこには自分たちで”食べ物をつくって生きている”という自活力があるということだけではなくて、変わらず動いている世界 ー 自然 ー が近いというなにか安心感のようなものがあったのではないか、今ではそう思います。

良い意味で ”新型コロナどころではない” 暮らし。

根を下ろし、足元がしっかりした感覚。

新型コロナで都市部に住む方々の足元がとても揺らぎました。

この「足元」は「お金」という方もいるけれど、

わたしたちは ”生きるちから” そのものだと思います。

その頃からわたしたちの考え方も少し変化しました。

...




ー より足元の暮らしを ー

お気づきの方も多いかと思います。

このところのわたしたちの発信は ”暮らしに根差した” 投稿が多くなりました。

自然に近い暮らしを感じて欲しいと始めた投稿です。

その中でも多いのが採取についての投稿です。

家のまわりで採れる身近な実や草花たち。

ほとんどの植物がなにかしらわたしたちに対して素敵な恩恵を与えてくれます。

それは食べ物になったり、飲み物になったり、着る物になったり...

政府批判が多かった昨今、それはある意味で対・人に対して頼りすぎた結果でもあるのではないのでしょうか。

自然は無条件にわたしたちに対して恩恵を与えてくれます。

もっと人は自然に頼ってもいいのではないのでしょうか。

そして、頼るだけでなく、人はそのちからで自然をより生き生きとさせることもできます。

”天地有機”

その言葉を学んだのは有機農業講座での座学のとき。

天地に機あり

つまり自然にはある種の法則があるということ。

法則に沿った農を行えば、つまり山を見習った野菜作りをすれば、野菜はより美味しく、栄養価の高いものになる。

化学肥料や農薬は虫や微生物を死滅させ、太ったハリボテの野菜を作る。

皆さんはどちらの野菜を食べたいと思いますか?

このことは農のことだけでなく全ての分野で言えることなのかもしれません。

”百姓” という言葉があります。

農家の方、という意味と思われる方も多いかもしれません。

実は ”全ての問題に対して自分で答えが出せる人” という意味を持ちます。

以前、師と思える方から学んだ素敵な概念。

百の姓、つまりどんなことでもできる人のことです。

昔は百姓といえる方がほとんどでした。

糸をつくり、染色をし、布を織り、衣をつくる。

土をつくり、田畑を耕し、食物をつくる。

木を育て、山を育て、家をつくる。

衣食住全てを自分たちでつくるちからを持っていました。

都会で暮らしていた時の漠然とした不安。それは自身が百姓ではなく、ただの一姓であったから。

自分自身でできることが少なく(仕事のみしかできない)

衣食住のほとんどを他人に依存している不安。

その全てにお金が関わり、

お金でつながる人間関係も多く、

お金がないと生きていけない不安。

生きるとはなんだろう??

生きるチカラとはなんだろう??

”百一姓” という言葉も学びました。

百に加える一。その人にしかできないこと、つまりセンスの部分です。

”全ての人は芸術の人である” 哲学者バタイユの言葉です。

”芸術家” ではなく ”芸術の人” そう言わしめる人の部分。それがその人にしか持ち得ないセンスのことだと思います。

そう、皆さん一人一人が百一姓になれるということです。

百姓をするなかで、これは皆よりうまくできる、この部分はよく褒められる、頼り、頼られる。これが百一姓の姿。

私たちが目指すところも ”百一姓” です。

そう思い習い始めたのが有機農業であり、竹細工であり、健康体操であり、陶芸であり、手技だったり...

まずは百姓を目指すことからはじめます。大変。

自然と寄り添い、百姓を目指し、自分の中の百一姓を築きあげ、お金との距離感も適切に保てたとき、色んな不安が無くなるのだろうと思います。

それこそがこれからを ”生きるちから” になるのだろうと思います。

...




ー 地に足つける ー

こんな話をしたとき、「サササさんだからできること」と言われることがあります。

そんなことはありません。断じて無いと思う。

そもそもまだなにもできていないのが恥ずかしいぐらいです。

今、私たちの行動原則は

・精一杯この場所で生きること、生きる術を学ぶこと

・皆さんを迎える場所をつくること

・そして皆さんとお話をすること

です。

まだ移住をして1年。なにか皆様の参考になるような助言ができるなんて思っていません。

ただ、まだまだ不完全で不安定な状態だからこそ皆さんに伝わること、はじまることがあるのだろうと思います。

意外に私たちと同じ悩みを持つ方は多い、と移住前、移住した後でも感じていました。行動を起こした一つの事例として見ていただけたらと思っています。

そうしてはじめた幼稚園の来園。

漢方茶のこと、暮らしのこと、この土地のこと、移住のこと、子育てのこと、最近の出来事、学校のこと、将来のこと、世間話...ただただ話しています。

不思議とその話の中から「こうしていきたい」「ああしていきたい」という言葉がお客様から生まれます。それは百一姓の産声であり、それにつられてわたしたちからも言の葉が生まれるという相乗効果。

当初と思っていたものとは違う園のカタチだけれども、以前の教室やワークショップとは違う密な時間と縁を感じます。

そうして見えた、私たちからの「こうしていきたい」「ああしていきたい」こと。

喫茶店をつくりたい

やっぱりしたい教室やワークショップ

なんの脈略もなく喫茶店?と思われるかもしれませんが、今よりもっと気軽に来園していただくには喫茶店のような形態が理想的。現在はアポイント制という形で来園していただいていますが、もう少し恥ずかしがり屋の方にも来て欲しい。地元の方も来やすくなりますし、交流の場にもなります。

ただ設備的な部分で課題は多く、実現までしばらく時間はかかるかなと思っているのが本音です。できるだけ急ぎますが、気長にお待ちいただけたらと思います。

教室やワークショップについては私たちのモノづくりについて共感していただける場。

漢方茶ワークショップ、洋服の型紙づくり・服づくり、しめ飾りづくりなどなど...

”モノをつくりあげる”ことはひとつの壁を乗り越えることにもなります。「私には芸術の人になるなんて無理」という方にはその視点をかえるきっかけにしてほしい。

同時になぜこの地でモノをつくろうと思ったかをダイレクトに伝えられる場にもなればと考えています。時勢に合わせて開催して行けたらと思っています。

よく質問されることに「なぜそんなことをするのか?」があります。

より多くの皆さんに漢方茶を知ってもらいたい。

私たちの活動に共感してもらいたい。

生活のため 笑

私(夫)が地域おこし協力隊であること。(←説明は割愛します。一度調べてみてください)

そのような気持ちももちろんありますが、

第一に

移住者を増やしたい

です。

仲間を増やしたい、とも言えます。もっと言うとご近所に友達を増やしたい。が理由です。

同じような価値観をもった、百一姓を目指す方が増えればこの地がもっと面白く、明るくなってくるはず。

地方には地方なりの問題がありますが、私たちの視点だけでは補えない問題が山積みです。

目玉の数を多くして、楽しく生きていけばおのずと解決していくようにも思えます。

楽観的すぎますでしょうか?

地に足つけ、根を下ろす人が増えればその土地の地盤も強くなっていく。そう信じています。

...




ー これからのこと ー

しばらくはお客様の来園については続けていくつもりです。

とても嬉しいことにコンスタントに来園依頼のお問い合わせが。

そこでつながるご縁、そこから広がるご縁。とても大切な時間だと思っています。

皆さんをお迎えしながら幼稚園を整え、可能な限りイベント出店、園での教室やワークショップをはじめていく予定です。

新型コロナが決して落ち着いたとは言えませんが、皆さんある程度コロナに対して受け入れる心の準備が出来てきたたように思えます。(かな?)

すでに決まっている予定として、

・11月に宍粟市内で数件イベント出店予定

・12月に宍粟市内外(確定は宍粟市山崎付近で2件、たつの市で1件)しめ飾りワークショップ

を行う予定です。

このブログを書きながらもできれば大阪界隈でのワークショップもできたら...と思っていますが、そのあたりも今月中に頭を整理して決めようと思っています。

いつもしめ飾りを作っていただいているお客様にはドギマギさせてしまっていますね。もう少々お待ちください。

雨のち曇り、曇りのち晴れ。

氷雨のような新型コロナという雨が降りましたが、必ずまた晴れ間が見えてくるのだと思います。

私たちの活動もゆっくりと、ゆっくりと...

...




ー おわりに ー

ここまで読んでいただきありがとうございました。

長い文章になり大変恐縮しております。

なんとなくサササって何者感は薄れましたでしょうか?

大阪にいた時よりも一言で何をしているのかお伝えするのがいつも難しく、まとめると、

”お店をして、移住者を増やしたいひとたち”

ということになるのでしょうか。イメージが良いのか悪いのか...

それと同時にどうやって生活しているのですか?という質問がよくありますが、

サササとしての収入(漢方茶や装身具の販売)のほかに、

”洋服の型紙をつくる仕事(パタンナー)”があり、

"地域おこし協力隊として期間限定ですが補助を受けている"

という回答になります。

地域おこし協力隊については各自治体によって性質が異なりますので、気になる人は直接聞きにきてください。

締め括りが収入の話なのが気にはなりますが、移住に対していつも思われることは「どうやって生活していくのか」ということ。

方法はいろいろあるのだろうと思います。私たちみたいに元々遠隔でできる仕事があれば移動はしやすいですよね。作家さんたちもそれに当たるのだと思います。もちろん協力隊になることも選択肢のひとつです。

(一人の人間としてよりは協力隊の方が地元の人の警戒心も低くなるので地域に溶け込みやすいと思います。したいことと募集要項がマッチすれば移住希望者にとってはとても素晴らしい制度だと思います)

飛び込む勇気というのは私たちにも必要でした。

現在企業に属していてそんなものは無理。と思われる方もいらっしゃいますが、私たちも元はサラリーマンでした。私たちにできたことなので皆さんにもできることだと思います。(本当に本心で思っています)独立をし、数年後この地に飛び込みました。

夫婦で話し合い、知人に相談し、宍粟にも何度も訪れ少しずつイメージを膨らませていきました。最後はエイっという勢いも必要でした。

これから移住に対して、もちろん宍粟市以外でも良いと思います。その飛び込み台の高さをできるだけ低くできる活動ができれば幸いです。

文を振り返ると宍粟市外への方のメッセージになってしまいましたね。

残念ながら今は地元の方に対しできることが少なく、むしろ学ばせてもらっていることの方が多いです(だめなんですが)。早く皆さんに追いつき、恩返しがしたいという気持ちでいっぱいです。そのひとつに移住者を増やすということも入るのだろうと思います。

まだまだ植えたての苗木の状態ですが、いつかは大木のような存在になれるよう尽力いたします。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

勉強不足の部分も多く、突っ込みどころの多いブログとなってしまいました。

ただ、私たちの思いを整理できた良い機会にもなりました。





生きる





というキーワードがここ最近頭の中をぐるぐる回っています。

立場、世間、お金といった鎖になるようなことはそっと横に置いて、今一度生きるということを真剣に考えていただくきっかけになれば幸いです。



そしていつか、あなたとお会いできる日が来ることを楽しみにしております。



十十十十十十 山口洋介/亜希


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