料理とは何か。調理との違いと、食が心に与える影響
- 1月30日
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料理とは何なのでしょう。
以前、「人間は料理をする」という本の中に、「人間らしくあるための行為」的なことが書いてありました。
毎日の料理にそんなたいそうな思いを抱いたことはなく、少し大げさだなぁと思った記憶があります。
「調理」とは、食べ物を食べられる状態に変えること、その過程や技術のこと。とされています。
火を通す。皮をむく。毒や硬さを取り除く。
これらは生存のための技術で、動物の中にも調理をするものはいます。
カラスが道路に硬いクルミを落とすのも、ラッコが貝で貝を割って食べるのも、食べるための工夫で、調理の枠に収まります。
一方で「料理」はどうでしょう。
味をつける。バランスを考える。盛り付ける。誰かに出す。
料理には、潜在的に誰かのためであったり、誰かと分け合うという、意味や目的が含まれます。
逆に言うと、誰のためでもなく、意味や目的がないものは「料理」ではなく、動物的な「調理」にしか過ぎないとも言えます。
火を囲み、獲物や作物を分け合う。
火の使用と調理の始まりは人間の社会性の発達と深く結びついているとされています。
火を使うことで、食べ物は柔らかくなり、消化しやすくなり、同時に「一緒に食べる時間」が生まれたのだ、と。
筆者が料理を人間らしくあるための行為としたのも、大げさでもなんでもない事実だったんですね。
東洋医学では、人の体は「臓腑」だけで成り立っているのではなく、感情(七情)と臓腑が深く結びついていると考えられてきました。
怒りは肝に、喜びは心に、思い悩むことは脾に、悲しみは肺に、恐れは腎に影響する。
つまり、どんな気持ちで食べるかは、どんな栄養をとるかと同じくらい、体に響くということです。
忙しさの中でかきこむ食事と、誰かと向かい合って時間をかけて食べる食事とでは、同じ内容でも体の受け取り方は違ってきます。これは感覚的な話ではなく、現代医学でもストレス状態では消化酵素の分泌や腸の動きが低下することが分かっており、「心が落ち着くと消化がよくなる」というのは、迷信ではなく、生理的な事実なんですね。
料理をするとき、誰の顔が浮かびますか?
疲れているだろうか。寒くないだろうか。今日は何を食べたら喜ぶだろうか。
東洋医学では消化・吸収をつかさどる消化器系を「脾」と呼び、食べ物を血や気に変える働きと同時に「思い」も脾から生まれるとされています。
つまり、食べ物と思いは同じ場所で扱われるのです。
誰かを思って作った料理は、単なる栄養ではなく、気持ちごと体に入っていく。
料理は治療に近く、東洋医学では薬を使わず食事で体を良くする医者が最も良い医者だとされています。
面白いことに、料理と薬のあいだには、はっきりした線引きはありません。
正確には、日本薬局方という法律で定めた「極めて薬効の高い薬草」は薬という扱いになり、資格のないものが扱ったり販売することは禁じられています。ただし、その薬効の高いとされている薬草でも、特定の部位以外は、食品としての扱いが可能なものもあれば、薬として利用される薬草には有毒のものも少なくありません。
東洋医学には「医食同源」という言葉があります。
薬と食べ物は、同じ源から来ている、という考え方です。
薬草も、もとは野に生えている草であり、先祖かつてが食べていた植物であったりもします。
よもぎは餅やお灸になり、生姜は料理や薬になり、なつめはおやつや薬になる。
体調がいいとき、薬は「異物」となり、
体調が悪いとき、脂っこい料理は「毒」になる。
それぞれの境界線は、体の状態によって変わってくるのです。
料理は、栄養摂取のためだけのものではありません。
おいしい料理や思い出の味は、たとえ一人で食べたとしても自然と顔がほころび、気持ちが緩みます。
誰かと楽しく話をしながらの食事は尚、心と体に届くものです。
忙しい毎日だからこそ、食事の時間は楽しんで。
美味しい、きれい、素敵、かわいい。どんな感情も体に影響を与えています。
一人で食事を取ることも少なくない今、できるだけ感情を乗せて食事をしてください。
私は一人ランチであっても、一人でよく唸っています。おいしいと口に出してしまうこともあります。
周りからは少し冷ややかなものを感じますが、気にしない。
だって私の体が喜ぶように食べたいじゃないですか。
何を食べるかは、どう生きたいか。につながっています。
誰と食べるかもまた、生き方につながっています。
人間らしく「料理」をして、誰かと分け合う。
自分のためだけであっても、明日はこうなりたいという目的をもって料理してみましょう。
普段の料理がなによりの体にやさしい薬になるはずです。





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