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暮らしのサ会について2
以前ご案内した「暮らしのサ会」について、今回は詳細をお伝えする前に、なぜこの会を始めたいと思ったのか、その背景にある想いを少しお話させてください。 私たちの体は、季節と切り離されて存在しているわけではありません。 気温、湿度、日照時間、食べられるもの。 それらが変わるたびに、心も体も、知らず知らずのうちに影響を受けています。 春は、ため込んだものを外へ出したくなる季節。 夏は、熱と湿をどう逃がすかが大切な季節。 秋は、乾燥とともに内側を整える季節。 冬は、蓄え、守る季節。 本来は、季節ごとに少しずつ体の使い方を変えながら、自然に調整していくものなのだと思います。 春には山に入り、山菜や野草を摘み、種を蒔く。 夏には茶葉を摘み、梅を干す。畑も大忙しです。 秋にはたくさんの作物が実り、冬に向けてまた種をまく。 冬に備えて、保存食を作ったり、づぎの春に向けて企画を練る時間。 そんな一年のサイクルを続けていくうちに、体は整いますます元気になっているように感じます。 大阪にいた頃、今の暮らしは夢物語でした。 畑がない、時間がないと、体の不調を感じていても、
2月16日


暮らしのサ会、再開のお知らせ
『私たちはなにを食べ、どう生きていくのか』 2022年秋からはじめた学びの場「暮らしのサ会」。 ご自身の体質を見ながら薬膳茶をつくったり、その知識を暮らしに落とし込んでみたりと沢山の方々にご参加いただきました。あれやこれやと皆様学んだ時間はとても楽しかったですね。 ただ、約二年ほど続けた中で「もっと実践的な場にできないだろうか」。そう考えるようになり、昨年はインプットの時間として会をお休みし、自分自身の体を使ってさまざまな実験を重ねることに注力させていただきました。 薬草や漢方、いろいろな食べ方を試しながら、体調の浮き沈みも含めて、身をもって体験した一年です。 養生として実践してみて「よかったこと」も、「思ったほど合わなかったこと」もあります。 その経験と知識を、あらためて誰かに手渡していけたらと思い、このたび「暮らしのサ会」を再開することになりました。 「衣・食・住」 この言葉の真意は、食べ物が真ん中にあるということではないでしょうか。 良い医者は食べ物で体を整え、 普通の医者は食べ物と薬を使い、 良くない医者は薬だけでなんとかしようとする。そ
2月16日


心が疲れるとき、体から整える|心と体と食養生
なんとなく気持ちが沈んでやる気が出ない 身体がなぜか重だるい いくら規則正しく暮らしていても どんなに食事や運動に気をつけていても 季節の移り変わりや人との関わりにより、心も体も変化させられてしまう。 特に心は日々の小さなストレスの積み重ねで、知らずのうちに大きな病気につながることもあります。 健やかで居続けるということは、じっと一点にとどまっているということではなく 行ったり来たりする振り子のように、変化しても比較的すぐに元に戻ってこられる状態のこと。 その戻り方にはどのような方法があるのでしょう。 心と体という視点から、話してみたいと思います。 心と体の関係を語るとき、東洋医学と西洋医学は、どちらもある共通点を持っています。 それが、消化吸収のしくみが、心身の状態を左右するという考え方です。 西洋医学では「腸」、東洋医学では「脾(ひ)」と呼び方は違いますが、どちらも“食べたものを、自分の力に変える場所”として重視されています。 腸は、食べ物を消化し、栄養を吸収する臓器です。 それだけでなく、 ・体の免疫細胞の多くが集まる ・腸内細菌がビタミン
2月3日


料理とは何か。調理との違いと、食が心に与える影響
料理とは何なのでしょう。 以前、「人間は料理をする」という本の中に、「人間らしくあるための行為」的なことが書いてありました。 毎日の料理にそんなたいそうな思いを抱いたことはなく、少し大げさだなぁと思った記憶があります。 「調理」とは、食べ物を食べられる状態に変えること、その過程や技術のこと。とされています。 火を通す。皮をむく。毒や硬さを取り除く。 これらは生存のための技術で、動物の中にも調理をするものはいます。 カラスが道路に硬いクルミを落とすのも、ラッコが貝で貝を割って食べるのも、食べるための工夫で、調理の枠に収まります。 一方で「料理」はどうでしょう。 味をつける。バランスを考える。盛り付ける。誰かに出す。 料理には、潜在的に誰かのためであったり、誰かと分け合うという、意味や目的が含まれます。 逆に言うと、誰のためでもなく、意味や目的がないものは「料理」ではなく、動物的な「調理」にしか過ぎないとも言えます。 火を囲み、獲物や作物を分け合う。 火の使用と調理の始まりは人間の社会性の発達と深く結びついているとされています。 火を使うことで、食べ
1月30日


なんとなく不調の原因は「食べ方」かもしれない。腸と食養、日本人の体質の話
スーパーの食料品コーナーは私たちの食べ方をうつす鏡のようです。 野菜や果物、豆腐や魚・肉などの生鮮食品は売り場の3割程度。 酒やジュースなどの飲料が約1割、乳製品も1割程度。 弁当や総菜、パンや冷凍食品など、調理せず食べられるものは生鮮食品と同程度、あるいはそれ以上かもしれない。 共働きや独り暮らし、高齢化によって、料理する時間や献立を考える手間を省けるこれらの加工品が重宝されるのは仕方のないことなんだと思います。 はたして、食事とは何なのでしょうか。 光合成もできず、何も食べずに生きていけない私たちにとって、食事は生命維持に不可欠な行為です。 人類が二足歩行をはじめたばかりの頃、食料の多くは生のままか、砕いたりつぶしたりする程度でした。毒に当たって命を落としたり、食あたりで動けなくなったりと、食べることが命がけだった時代があります。 やがて火を扱う術を身につけ、加熱によって有害な菌を死滅させ、解毒・減毒し、栄養価を高め、消化吸収しやすくすることができるようになると、「より安全で、おいしく食べたい」 その欲求が生まれ、どうすればよいか考える脳が発
1月27日


これからの食べ方を考える、小さな冷蔵庫と飽食の時代
我が家は独り暮らし用の小さい冷蔵庫を愛用している。 社会人になって独り暮らしを始める時に、先輩から譲ってもらったもので、 その先輩も友人からもらったというもので、もう10年くらいの付き合いになります。 本当はもう少し大きいものが便利だなと思うけれど、壊れないし愛着もあって、なかなか手放せないのです。 寒い寒い冬のあいだ、小さな冷蔵庫の中は数日分の豆腐と納豆、少しの肉類と調味料で埋め尽くされる。 野菜類は家の中が冷蔵庫よりも冷えるので、凍らないように新聞紙でくるんで段ボールに入れておく。 この時期の食卓には雪の降る前に取っておいた大根と白菜、里芋にじゃがいも、蕪とネギばかり。おかげさまで料理のレパートリーは増えました。 「飽食」という言葉は戦後にできた言葉だそう。 食べ物が満ち足りて、あきるほどある。 移住前は、冷蔵庫が小さくても、買いだめをしないと困るという不便さは経験したことがなく いつでも歩いて買い物ができ、コンビニも24時間のスーパーも近く、深夜でも食べられる食堂もあった。 どこに行ってもお金さえあれば食べたいときに、食べたいものが食べられ
1月24日
