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これからの食べ方を考える、小さな冷蔵庫と飽食の時代

  • 1月24日
  • 読了時間: 4分

我が家は独り暮らし用の小さい冷蔵庫を愛用している。

社会人になって独り暮らしを始める時に、先輩から譲ってもらったもので、

その先輩も友人からもらったというもので、もう10年くらいの付き合いになります。

本当はもう少し大きいものが便利だなと思うけれど、壊れないし愛着もあって、なかなか手放せないのです。

寒い寒い冬のあいだ、小さな冷蔵庫の中は数日分の豆腐と納豆、少しの肉類と調味料で埋め尽くされる。

野菜類は家の中が冷蔵庫よりも冷えるので、凍らないように新聞紙でくるんで段ボールに入れておく。

この時期の食卓には雪の降る前に取っておいた大根と白菜、里芋にじゃがいも、蕪とネギばかり。おかげさまで料理のレパートリーは増えました。


「飽食」という言葉は戦後にできた言葉だそう。

食べ物が満ち足りて、あきるほどある。

移住前は、冷蔵庫が小さくても、買いだめをしないと困るという不便さは経験したことがなく

いつでも歩いて買い物ができ、コンビニも24時間のスーパーも近く、深夜でも食べられる食堂もあった。

どこに行ってもお金さえあれば食べたいときに、食べたいものが食べられる。それが普通だと思っていました。

自分で野菜や肉を調達するようになってから、その不自然さに気が付きます。

手に取っていた食材は国産のものよりも輸入の方が安いという違和感。

オーガニックと明記しているものの多くが外国産で、ひときわ単価の安い米は令和の米騒動で高い高いと騒がれる。

私たちの住む日本という国は一体何がしたいんだろう?

この国に住む私たちは、この先どのように暮らしていけばいいんだろう・・・


先日、有機農業教室での講義の中で、統計の話がありました。

え?農業教室でなぜ統計??と不思議に思われるかもしれませんが、

私たちがこの先どのように生きていかなければならないかを知るために、現状を知る必要があり、現状を知るには憶測や理想などのふんわりしたものでは見えてこなくて、データを見て未来を読むことが大事という、恩師の教えがあります。

少子高齢化が進み、裾しぼまりの人口、ますます社会保険料は上がり、働き手には金銭的にも体力的にも負担が大きくなる中、円安で食料を輸入に頼ることも難しくなる。

2050年を目標に掲げた政府のオーガニック宣言、あと25年先に日本で農業を続けている人はどれだけいるのだろう。

米ではなく芋が主食になるという記事も目にしたけれど、芋すら十分に作れるだろうか。

びっくりするくらい絶望的な統計で、嘘でしょと思ってしまった。

お金で食べ物が買えない、小さな冷蔵庫でもスカスカになる時代が、もしかしたら自分が生きているうちにやってくるのかもしれない。現に、今冷蔵庫の大半を占めている国産の大豆製品も、大豆を生産する若い後継者がいるのかは分からない。農業で生きていくには、覚悟と苦労が伴うし、価格は政治で大きく揺れる。

じわじわと真綿で首を絞められるように、何もしなければ少しずつ自分たちの快適が奪われていく、そんな未来が待っている。


私たちは何を食べ、どう働いて暮らすべきか。


自分を、自分の地域を、日本という国を強くする。

これからの食べ方を考えていかなければ

病気にも天災にも人災にも見舞われてしまう。


素問、養生訓、若杉ばあちゃんや桜沢如一、そして恩師の言葉には自身が健康になるための教えだけではなく

行いによって環境を変えていく、変化を起こす方法がちりばめられている。

恩師からの「あとは頼んだで」の言葉に、自分なりにできることとしたら、

体を健やかに、その土地を豊かにする。

そんな生き方やその方法を伝える場所づくりを今年はしていけたらと考えています。


夕日の差し込むススキの丘

AIに頼めば、読みやすいきれいな文章になるのですが、どうもしっくりきません。

脱線しているように見えて、私の中ではつながっていて、こんがらがっている状態が自分らしさなんでしょう。

なんの話??と思うかもしれませんが、その点と点を想像力でつなげて、それも含めて面白がって見てもらえると嬉しいです。


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